文学と服のオハナシ。登場人物は何を着ているの?

文学の登場人物、とくに男が何を着ているのかに注目します

文学の登場人物が何を着ているのかに注目するよ  

 文学の登場人物が何を着ているのか。現代もの以外はあまりわからないで読んでいることも多いんじゃないでしょうか。それでも、ちゃんと作品のスピリットが伝わるのが名作ってものだと思うけど、ちょっと服に注目して文学読んでみようかな、と思い立ちました。

そういうわけで、ブログをはじめましたよ。第一回めはトマス・ピンチョンの「ヴァインランド」

ヴァインランド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第2集)

ヴァインランド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第2集)

 

アメリカの大学生が読んだフリしたい本のベストワン「重力の虹」で有名なトマス・ピンチョンが、17年の沈黙を破って発表した作品です。「重力の虹」の難解・重厚な作風を期待した読者は、とても、とてもガッカリしたらしい。

 私はいきなり「ヴァインランド」を先に読んでしまったので、ガッカリすることはありませんでした。

 むしろ、たいへん面白く読めました。クエンティン・タランティーノの映画みたいな感じで楽しめます。

ひと言でいえば、たいへん頭のいい人が絶え間ない悪ふざけの中で何かを語る感じです。タランティーノ映画に知識や教養を、必要以上にこれでもか、これでもかと詰め込んだら、こんな感じになるかもしれないですね。

 60年代のヒッピームーブメントをそのままひきずって80年代をむかえ、精神病患者を演じて政府の給付金をちょろまかしつつ「反体制」を貫くというサイテーなやり方で楽しく生きているオヤジ・ゾイドがこのストーリーのとりあえずの主人公です。その元妻フレネシは60年代には戦闘的なカメラウーマンでしたが、現在行方不明。

 

服に関してですが、この小説ではヒロインであるフレネシが「制服姿の男が好き」という設定になっています。制服姿の男が好きであるがゆえにフレネシは敵である政府側の男と関係を持ってしまいます。こりゃあ、不幸だなあ。

制服って、学校の制服も、居酒屋の店員の制服も、スポーツのユニホームも、なにかの団体への帰属を意味しますよね。この団体へのきっちりした帰属っていうのがまず、ヒッピーの生き方と折り合いが悪いでしょう。

さらに始末の悪いことに、フレネシが特に大好きなのは、警察の制服や軍服。となると、制服に集団への帰属に加えて別の意味が出てきます。

政府による「権力の行使」→「ときに暴力的な行使」という意味合い。これまたヒッピーの生き方にあわない。あわないどころか、全否定でしょう。60年代的理想からすれば「権力の暴力的な行使」なんて全否定。だって、ラブ・アンド・ピースだもの。

なのに、フレネシは、「権力の暴力的な行使」の象徴のような男ヴォンドと関係をもってしまいます。ヴォンドは、実はあからさまな制服は着てはいません。大物なので、高級スーツに身をつつんでいます。加えて、「ファッショナブルな八角形の眼鏡フレーム、ロバート・ケネディ風の髪型」

 おやおや、けっこうかっこいいのでは?